東寺の大日如来に出会って、人生が変わった
「どうして仏像を拝むと、心が整うのだろう?」
その答えをくれたのは、コロナ禍に何となく訪れた京都・東寺で出会った、大日如来でした。
きっかけは、コロナ禍の京都ひとり旅
当時は、先が見えない不安や孤独、社会のざわつきに心が疲れていました。
そんな中、たまたま見つけた旅行割引をきっかけに、京都を訪れることに。
特別な目的はなかったけれど、京都駅から近いという理由で「東寺」に立ち寄りました。
初めて見た「大日如来」の衝撃
講堂に入った瞬間、中央に鎮座する大きな仏像が目に飛び込んできました。
それが、大日如来。
ただ静かに座っているだけなのに、不思議と心が惹きつけられて動けなくなりました。
「あ、私この仏像、好きだ」
そう感じた瞬間、なぜか涙が込み上げてきて――
それまで「どうでもいい」と思っていた自分の人生を、「もっと大切に生きてみよう」「ちゃんと頑張ってみよう」と、初めて思えたのです。
それ以来、仏像を巡るひとり旅が私の心を整えてくれるようになりました
仏像の前に立つと、不思議と心が静まり、
過去の自分も、これからの自分も、受け入れられる気がする。
それは、拝んでいる私のために、そこにいてくれているような感覚。
私にとって仏像は、癒しであり、軸であり、心を整える場所になりました。
このブログについて
このブログは、そんな私の「仏像との出会い」がきっかけで始まりました。
主に京都・奈良を中心に、公共交通で行ける仏像巡りの旅を紹介しています。
「仏像に詳しくないけど、なんだか気になる」
「人生に疲れたとき、心のよりどころが欲しい」
そんな方に届いてほしいと願って、心を込めて記事を書いています。
あなたの旅も、心が整うものでありますように
このページを読んでくれたあなたにとっても、
どこかの仏像が、心の支えになる存在でありますように。
私の旅は、まだ続いています。
🇺🇸 English Summary(英語要約)
During the pandemic, I visited Tō-ji Temple in Kyoto on a whim. There, I encountered the statue of Vairocana Buddha (Dainichi Nyorai), and something inside me shifted. Though I couldn’t explain why, I felt as if my soul had been realigned. I was deeply moved, as if the statue spoke directly to my heart. That moment marked the beginning of my journey with Buddhist statues — not only as cultural artifacts, but as a source of emotional healing and spiritual reflection. This page shares the story of that encounter and how it changed my life.